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主宰者挨拶

超士業塾を主宰している塩津大輔です。今回は私のビジネスの根底にある過去の話をしようと思います。

長くなりますが是非最後までお読みください。

プロフィール

塩津大輔 昭和52年10月22日生まれ42歳

大阪府立北野高等学校卒業

大阪市立大学経済学部卒業

現在は行政書士事務所をコンサルタント会社を経営。

行政書士事務所は独立開業して9年目、コンサル事業は7年目。

現在では行政書士事務所としては300社以上の企業に関与させて頂きコンサルタントとしては士業事務所、企業合わせて30社以上のコンサルティング行う。

行政書士になったきっかけは?

これはよく聞かれる質問なのですが実は特にないんですよね。

強いて言うなら大学時代に将来の職業を考え始めたときに、なんとなく士業ってかっこ良いなと思ったのがきっかけでしょうか。

資格の本をみると「数千種類の業務、年収1000万越えも夢じゃない」「コスパ最強資格」と謳われていたのが行政書士でした。

おお!これは!と思いすぐに行政書士事務所のアルバイトを探し始めました。

思えばこれがこれから始まる苦労と努力の日々のスタートでしたね。

ここで少し遡ります。

私は大阪府で有数の進学校に入ったにも拘らず勉強が嫌いでとにかく放課後は毎日のように大阪梅田の繁華街をうろつく学生でした。

成績は中の下。

いつも学期末テストだけ頑張って帳尻合わすだけ。

学校全体が大学進学を当たり前の事とし、周りが受験勉強を始めても大学に行く意味が分からずにゲームセンターに入り浸っていました。

そのまま高校は何故か卒業できたが、やる事がみつからず同じく遊び呆ける日々。

この頃から両親との関係も悪くなり友達の家を転々と泊まり歩くように。

この時、生活費を稼ぐためにプログラマーのアルバイトに行き始めました。

未経験からまず2ヶ月の研修を経てそこから正式採用になるとう流れ。

研修期間中もアルバイト料は出るんですよね。素晴らしい。

これが社会に出て初めてもらったお給料です。

これがきっかけでパソコンというものに出会った気がします。

同時、パソコンなんて持ってる家庭はなかったですからね。ちなみに1996年頃の話です。

でも、なんとなく研修期間が終わってすぐに飽きて辞めてしまいました。

その後は、ただ遊ぶ為のお金だけ稼いで遊ぶ日々を繰り返していました。

でも、学生時代の遊び過ぎたツケは当然後で払うことになるんです。人はやはりどこかで努力しないといけません。

そんなこんなで20歳の成人を迎えた1997年の誕生日。

そろそろ遊ぶのも終わりにしないとなぁと思っていた時に、芸能界のオーディションでも受けてみようかな?それか稼げそうなボートレーサーもいいな、いや、堅実に警察官かな?とか色々考えた結果、当時の私は「あ、大学生になればまだ遊べるやん!」と思い受験勉強開始。

翌年、センター試験を受けて無事に大阪の公立大学の2部に合格。

2部というのは今はありませんが、いわゆる夜間部ですね。

学費と生活費を稼ぎながら行くしかなかったので夜間を選択しました。

これは結果として本当に良かったと思います。

大学一回生の頃は昼は第一勧業銀行(今のみずほ銀行)で事務作業のアルバイトをしながら夜大学に通う生活と、その隙間でとにかくまた遊ぶ。

スキー、テニス、飲み会と典型的な遊びを繰り返し2回生になった時に、行政書士という資格に出会ったわけです。

で、5事務所ほど面接にいきました。

そもそも募集自体が全然なかったので、採用もらえるまで半年ほどかかりましたね。

で、ようやく決まったのは2回生の冬12月。

200012月行政書士事務所入所

この事務所では本当に沢山の実務を学ばせていただきました。今の実務の基礎はここで培われたと思います。おかげでCADで図面を書けるようにもなってます。

ただ、良くも悪くも放任主義なボスだったのでかなり苦労しました。

依頼者を怒らして怒鳴られた事も。

反面、おかげで実務はメキメキ覚える事が出来ましたが。

ただ、給料はめちゃくちゃ安かった。

サービス残業ありで手取りで10万。

学費と生活費を考えると生活が出来ないので土日はテレアポのバイトと家庭教師のバイトをしていたので週7で働き休みなし。

足りない分はクレジットカードのキャッシングをしてまかなったりもしていましたね。

実はこのテレアポのバイトは後にかなり役に立つ事になります。

行政書士業務のホームページからの問い合わせ電話をクロージングまで持っていく際のトークスキルはここで培われました。

ちなみにテレアポの成績は営業所で常に1位でした。

その放任主義の事務所で3年働き、その実務経験を買われて次に勤めたのが司法書士、土地家屋調査士、行政書士の合同事務所。

この事務所はメインは司法書士業務及び調査士業務であり行政書士業務を始めたばかりで実務を知る者がなくさらに営業もこれからという状況。

そこで私は営業マンをかって出て、ホームページ集客を始めました。

ホームページで会社設立、相続手続、建設業許可、抵当権抹消登記、相続登記、登記簿取得代行などの業務を集客し、全て自分で業務もこなすというスーパー事務員に。

いや、自分もこんなスタッフ欲しいです。

この時に行政書士業務、司法書士業務、調査士業務を学べたのも財産になってます。

ちなみにここも当然薄給なので、まだテレアポと家庭教師は続けていました。

7で働き開業資金をコツコツ貯める日々。まだ若かったので出来たんでしょうね。

その後20124月に独立。

独立後は11年の実務経験と培った集客ノウハウを使って初月から100万越えを達成。

その後2年半近くホームページ集客だけで食ってました。

事務員も1名雇って、思い返すとこの頃は結構気楽にやってました。

そのあとちょっとずつ紹介業務も増えて最大5名の事務所になりましたが、またここで悲劇が。

ストレスと過労による帯状疱疹。

治ったと思ったら、今度は過労で駅で倒れて救急搬送。

あの時ちょっと場所が悪ければ線路に落ちていたかもしれません。

あぁ、これはこのままやってたら死ぬな。。

経営方針を転換しなければいけないと思っていた矢先。

このタイミングである事が起こります。

「先生、うちのホームページ作ってくれへん?」

この時、既に超士業塾を立ち上げていたのですがあくまで士業に対するコンサルティングだけで、企業に対してコンサルティングはしていませんでした。

ちょっとした会話の中で「ホームページで広告出して集客してるんですよ。」と関与先の社長伝えたところこのように言われました。

「先生、ホームページ作ってくれへん?広告もやり方教えてや。」

この時に「集客に困ってるのって士業だけじゃないんや!」と気づいたんですね。

そこから、行政書士業務は出来る限りスタッフに任せて外注もするようにして自分の時間はコンサルティングに使うように方向転換。

結果、たくさんの士業や企業に対してオンリーワンのサービスを提供できる事務所に変化しました。

仕事が増え売上がアップした先生方や社長の喜んでいる声をきくと本当に嬉しく思います。

振り返ってみれば過去の私はかなり努力家ですね。コツコツコツコツと積み上げたものそれが今まさに沢山の人の役に立てっているのかもしれません。

今後もさらに多くの経営者のサポートが出来るように、日々自分自身への投資と勉強をコツコツと続けていきたいと思います。

以上が私のビジネスの根底にある過去の話です。いかがでしたでしょうか?

基本はやはりコツコツと積み重ねていくこと。これに尽きるんですね。自分の過去を振り返る事で再確認できた気がします。